ツイッターのアカウントを一時停止することにした。
当サイトの記事紹介のためになくてはならないツールなので、完全な削除はしない方針ではある(1ヶ月以内の再ログインで復活できるらしい)。ただ、基本的には今後もツイッターからは距離を置こうと思っている。
このコロナ禍においてタイムラインに流れてくる情報はあまりに攻撃的だ。ほんらいは抱く必要のない、怒りや虚しさや悲しさといった感情が湧き上がってくる。この感情に耐えられなくなったのだ。
コロナはなぜひとを攻撃的にするのか。いろいろと理由があるだろうが、シンプルに突き詰めれば、「ひとの命を奪わないように感染を避けようぜ派」と「ひとが首をくくらないように経済をまわそうぜ派」が対立するからだと考えている。この両者はともに「人命第一」という点で一致する。しかしその達成のためのプロセスは、どうしても矛盾してしまう。
正義どうしがぶつかったとき、ひとはこれまで、「対面」による話し合いで解決してきた。対面すれば、ことば(=文面)そのものの意味「だけではない」情報を受け取る。つまり、表情のこわばりや、冷や汗や、声の震えや、乾いた口のにおいや、ときに見せる笑顔……といった周辺情報だ。ひとはそういった「文面以外の情報」によって、相手を許したり、矛盾する正義に、折り合いをつけたりしてきたのだ。
多くのひとがさんざん指摘してきたとおり、SNSはこの「文面以外の情報」を排除するメディアである。ましてツイッターはその側面が強くあらわれる。そしてこのコロナ騒ぎによってわたしたちは「対面」の機会すらも奪われた。現在のツイッターにおける攻撃性は、こうした状況下で起こっているというのが私の認識である。
この状況において、できる抵抗とはなにか。「長文」しかないというのが当サイトの考えだ。140字の短文ではカットせざるをえなかった「なんやかや」も含めて、だらだらと長く書いていきたい。その「なんやかや」のなかに、「文面以外の情報」を滲み出させていきたいのだ。
「ボイパの歴史」第3章執筆中です
さて、ツイッターをやめたことで、ずいぶんと心身にゆとりが生まれてきた。いままでいかに精神を蝕まれてきたのかという感じである。現在、その生まれたゆとりのなかで「ボイパの歴史」の第3章を書いている。以下では、すこしだけポイントを記しておきたいと思う。
――日本において、「ボイスパーカッション」と「ヒューマンビートボックス」はともに「ボイパ」という言葉で混同されて認識されている。しかし当のプレイヤーたちは、両者が混同されることを嫌ってきた。そして混同を嫌ってきたからこそ、それぞれの技術は洗練を極めることができたのである。ではなぜ、両プレイヤーたちは長らく混同されることを嫌ってきたのか。それは、日本ボイパ史上のふたつの大事件……すなわち、「日本のハモネプブーム」と「米国のAFRAのデビュー」が、ほぼ同時期に発生した奇跡に由来する――。
うまく書ければ、かなりおもしろい世界観を提示できると思う(うまく書ければ…)。
ともかくいまはツイッターからひとまず離れ、長文執筆に専念したい。ちなみに連絡は当サイト「連絡先」欄から随時歓迎しています(べつに他人とのやり取りを放棄しようというわけではありません)。
追伸
ツイッターから消えたことで心配して連絡をくださった、某須田亜香里ファン同盟のお兄さま、心の底から感謝いたします。連絡してくださる方がいたことによって、とても精神の安定に影響しました。ほんとうにありがとうございました。