2022年5月追記:このページには、「ボイパ気持ち悪い」「ボイパ汚い」などのワードを検索してやってくる方が一定数いらっしゃいます。しかし、その類の悪口は残念ながらいっさい書かれていません。本稿は、「ボイスパーカッション」を「ボイパ」と略することに対する不快感を題材としたエッセイです。
「ボイパ気持ち悪い」という感覚について、少しだけ私の考えを書いておきます。
ボイパを「口をくちゃくちゃと動かして飛沫を飛ばしまくる不快行為」と捉えてしまった人に、魅力を伝えるのは至難の業だと思います。その感覚を持ってしまったのなら、もう仕方がありません。ボクシングを「野蛮な殴り合い」と感じてしまった人に、エキサイティングな魅力を伝える方法がないのと同じです。サッカーを「イタイヨーマイボ!」のアピール合戦と捉えている人に、会場全体と一体になる高揚感を知ってもらう機会を作り得ないのと一緒です。
ですから、筆者は「ボイパ気持ち悪い」という感覚をひっくり返してやろうというつもりはありません。
ただし、ひとつだけ、ぜひ知ってほしいことがあります。ボイスパーカッションやヒューマンビートボックスに人生をかけ、「身体の楽器化」の可能性を追い求めてきた偉大な先人たちがいるという事実です。
当サイトは、そんな人たちにスポットライトを当てています。せっかくの機会なので、リンクを辿っていってもらえるとうれしいです。
以下本論(2021年12月31日公開、5月4日修正)
■「ボイパ」と分かち難い「ハモネプ」のイメージ
読者は「ボイパ」と聞いてどのような感覚を抱くだろう。
ご存知の通り、「ボイパ」は「ボイスパーカッション」の略語だが、ある時期まで、この略し方に不快感を抱く人が一定数いた。かれらは「パーカス」を好んで使い、「ボイパ」をかたくなに避け続けたのである。
では、なぜ「ボイパ」は嫌われたのか。
「ハモネプのイメージが強すぎるがゆえに嫌われた」。これが筆者の考えである。
ボイスパーカッションの存在を世に知らしめたのは、2001年に始まった「ハモネプ」というテレビ番組の企画である。番組内で「ボイパ」の呼称は頻繁に使われ、画面越しに登場する「ボイパ奏者」たちは、まるでアイドルのような人気を集めていた。
人気を裏付けるのは数字はいくつもある。第1回全国ハモネプリーグの視聴率は18%にものぼり、机上の計算では実に320万世帯、730万人が見たことになる。ボイスパーカッションの演奏方法を掲載した「ハモネプスタートブック」は、14万部を超えるベストセラーとなった。
20年前、「ボイパ」はどこまでもポップな言葉であった。
■一発芸的なニュアンスへの忌避
当時のハモネプの影響で、多くの奏者が新たに生まれた。その好例がDaichiとHIKAKINである。かれらのように後進に多大な影響を与えるスターが誕生した半面、およそ音楽性のないドラムの音真似を「ボイパ」と称して披露する人も大量に生まれた。そのため、「ボイパ」という言葉には、どこか一発芸的なニュアンスが含まれるようになっていったのである。
ボイスパーカッションの音楽性を追求する奏者にとって、「一発芸」と捉えられるのは最も大きな屈辱である。その可能性を排除するため「ボイパ」を避けるようになっていった、というのが筆者の見立てだ(なおDaichi、HIKAKINは「ボイパ」ではなく「ヒューマンビートボックス」の名称を使っている)。
また当時、ボイスパーカッション奏者の間ではたびたび、名称についての議論がインターネットを中心に行われていた。「海外ではヴォーカルパーカッションが一般的だ」「いやいや声に限らず口全体を使うのだからマウスドラムスが正確な表現だ」「ヒューマンビートボックスだ」「それはコワモテのヒップホップ界隈で使われる言葉だろう」といった具合である。混乱の理由は、とりもなおさず、ボイスパーカッション文化の歴史がまだ浅かったからだ。
このように名称すら定まっていない中、半ば強引に「ボイスパーカッション略してボイパ」を定着させたハモネプのマスメディア的商業性に反発心を抱くのも、また無理のない話である。
■ボイスパーカッションとヒューマンビートボックスの接近
月日が流れ、「ボイパ」という言葉への抵抗感はかなり薄れてきているようだ。今も「パーカス」という呼称を使う向きもあるが、少なくとも「『ボイパ』は不快」と主張する言説は見かけなくなった。言葉が定着していく過程とは、このようなものなのかもしれない。
さらに驚くのは、ヒューマンビートボクサーがハッシュタグ「#ボイパ」をつけてSNSで発信していることである。これには隔世の感を覚えずにはいられない。
ここで、ボイスパーカッションとヒューマンビートボックスの違いがわからないという人のために、簡単に整理しておこうと思う。両者の最大の違いは、文脈(成立の背景)である。
ボイスパーカッションはアカペラの文脈で培われた技術で、ドラムセットの模倣が中心だ。リズムキープはもちろん、他の声楽パートでは表現し得ない高音域・低音域を補い、演奏にメリハリをもたらす役目も担っている。アンサンブルを重視し「スクラッチ」「喉ベース」といった派手な個人技はあまりみられないのが特徴だ。
ヒューマンビートボックスはヒップホップの文脈で培われた、自己表現を重視する技術である。観客の前で技を競い合う「バトル文化」が最大の特徴で、観客は出演者の得意技を熟知し、それが繰り出されると会場は大いに沸く。出演者は会場を盛り上げようと技の開発に余念がない。ここ数年間の飛躍的な技術向上は、バトル文化を下地に、YouTubeなどの動画メディアの普及が相まって生まれたものと推測される。
■「ボイパ」という名称の便利さ
20年前の時点では、ボイスパーカッションとヒューマンビートボックスの間にはっきりとした境界があった。敵対していたといってもいいかもしれない。10年前もその溝は存在していた。現在はどうか。過去にないほど接近し、良好な関係といってもいいだろう。
こうした状況を象徴する存在が、先日活動終了を発表したNew Schoolerである。ヒューマンビートボクサー5人によるグループで、アカペラの持つアンサンブル性を生かしながら個人技の魅力を打ち出している。
8Law(エイトロー)というグループもまた、アカペラならではの美しいハーモニーを重視しながら、ビートボックスの文脈で培われた技術を巧みに落とし込み、表現の幅を広げている。
こうなってくると、演奏者や熱心なファン以外にとってボイスパーカッションとヒューマンビートボックスのちがいは、いよいよわからなくなる。そんなときに便利な言葉が、「ボイパ」である。
「ハモネプ」は、過去一貫してボイスパーカッションとヒューマンビートボックスの線引きを行わず、口腔による声楽以外の音楽表現を「ボイパ」と称し続けてきた。その強引な整理は、両者の溝があった頃は批判もあっただろう。しかし、今となっては「ボイパ」こそが、両者の特徴や魅力を含有する言葉として、この上なく適当かつ親しみ深いように思える。同番組が果たした功績は大きい。
このサイト名は「ボイパを論考する」である。すなわち、ボイスパーカッションとヒューマンビートボックスが限りなくインタラクティブな現在の状況こそを論じたいがために命名した。
引き続き、「ボイパ」という名称を愛用していきたいと思う。