第2章 ハモネプの物語

  

 2001年、ストリートでひそかに注目を浴びていたあるムーブメントにスポットが照らされた。かれらは、楽器を使うことなく自らの声だけでメロディを作り出す「アカペラ・バンド」。

 主旋律を歌い上げる「ボーカル」、ハモリパートは「コーラス」、そして重低音を生み出す「ベース」。さらに全国を圧巻させたドラム音「ボイスパーカッション」。既成のメロディを自由にアレンジ。インパクトはさらに増幅。

 これから皆さんが耳にするのは、全国各地のまちにいる、ごく普通の若者たちが作り出す、本物のバンドさながらの驚くべきサウンド。そして目にするのは、互いに強いライバル心を抱き、たった一組にだけ与えられる「日本一」=優勝をめざす、今時めずらしい、ひたむきな熱い青春野郎たち。ミュージック・シーンに革命を起こす、ストリート発新ムーブメントが今、大きな結末を迎える――。

 

 これは2001年9月にフジテレビ系で放送された2時間特番「力の限りゴーゴゴー!!第1回全国ハモネプLEAGUE」の冒頭ナレーションである。「ハモネプ」の魅力は、この一文に集約される。

 

 ハモネプに登場するのは、たしかにごく普通の若者たちであった。かれらは「アカペラ」という、どこか懐かしい響きのある音楽に、青春をかけていた。そして演奏をじっさいに聴いてみると、かつてのアカペラのイメージとはかけ離れた、あまりに鮮烈な音楽がそこにあった。そんなコンセプトが、視聴者に受け入れられた。

 またこの一文が持つ挑発的なニュアンスにも、ハモネプの魅力が宿っている。「ミュージック・シーンに革命を起こす」――当時の若者たちは、この強いメッセージに、確実に魅了されていた。

 ハモネプではこの一文のように、視聴者を煽り、挑発するかのようなメッセージが何度となく使われている。ナレーター・平井誠一による魅力的な声も相まって、若者たちははげしく心揺さぶられた。そして、こぞってアカペラやボイパに挑戦しはじめたのである(※1)

 その影響は、2019年現在にいたるまで連綿と続いている。全国の大学にアカペラサークルが誕生し、無数のグループが、毎日のように、駅前やライブハウスやショッピングモールで演奏を行っている。

 

 2019年、ハモネプは特別番組として復活する(※2)。スタートから約20年の時を越えてふたたび復活する事実それ自体が、2001年当時のハモネプが世間に与えた衝撃の大きさを証明する。

 復活は喜ばしい。しかしたんに消費するだけでは、アカペラやボイパを、時代を超えて親しんでもらう可能性をみずから消し去ることになってしまうのではないか。私たちはいま一度、当時を振り返り、ハモネプがなぜ流行したのか、考察しなければならない。はたして、ほんとうにハモネプは、「ミュージック・シーンに革命を起こした」のだろうか?

 本項目ではハモネプが開始した2001年4月より、第2回全国ハモネプリーグの終了時にあたる2002年2月までの歴史を追う。この文章が読者にとって、ボイパの可能性を新たに発見する、なにかのきっかけになれば嬉しく思う。

 

「普通の若者」の青春劇

 

 改めてハモネプの概要を整理しよう。

 ハモネプは、お笑いトリオ・ネプチューン(名倉潤、原田泰造、堀内健)がメイン司会を務めるフジテレビの番組「力の限りゴーゴゴー!!」の1コーナーとして、2001年4月から始まった。ハモネプを知るためには、まずは「ゴーゴゴー!!」を貫くコンセプトを知らなければならない。

 同番組は、主に「普通の若者」にスポットライトを当てた企画(「青春企画」と称された)により編成されていた。プロデューサーを務めた吉田正樹(現:㈱ワタナベエンターテインメント会長)は著書(※3)のなかで、この番組をTBS系列番組「学校へ行こう!」の対抗として企画したことを振り返る。

 

 「学校へ行こう!」には個性的で変わった中学生たちが登場する面白さがありました。それを見ていた僕は、「こんな目立ちたがり屋でも金髪でもない(中略)普通の子にも面白さがあるはずだ」と思うようになったのです。

吉田正樹「怒る企画術!」より引用、中略は筆者

 

 この言葉どおり、番組には「普通(素人)の中高生」が登場する。そんな若者を、当時アイドル的人気を誇っていたネプチューンが「いじる」ことで笑いや感動を生み出す、というのが番組の一貫した形式であった。原田泰造扮する教師が生徒の悩み相談を受ける「ふんどし先生」や、女子生徒に告白したいという男子生徒を堀内健が自転車に乗って応援する「チャリ告」、目立たない女子生徒がメイクアップによって美しく生まれ変わる「ビューティースチューデント」など、さまざまコーナーが生み出された。

  ハモネプはそのうちの1コーナーとして位置づけられた。スタート早々に人気に火がつき、のちに番組のメイン企画として高視聴率を牽引していくこととなる。同番組終了時の2002年9月まで1年半にわたり放送され、この間、ボイパプレイヤーのおっくん(奥村政佳、のちRAG FAIRメンバー)やけんぞー(のちBEATBOXER KENZOとして活動)をはじめ、魅力ある若者が登場した。アカペラ、そしてボイパに青春をささげる出演者の姿に、視聴者は共感し、憧れたのである。

 

「おっくん」との出会い

 

 ‎ハモネプの仕掛け人のひとりが、当時同番組のディレクターを務めた、IVSテレビ制作の福浦与一(現:IVSテレビ制作㈱代表取締役社長)である。

 IVSテレビ制作は天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)などの往年のヒット番組はじめ、現在はTHE鉄腕DASH(同)、ネプリーグ(フジテレビ)、THEカラオケ★バトル(テレビ東京)といった人気番組の制作協力をしている。また本サイトの文脈つまりMr.no1seの出自でみれば、全日本そっくり大賞(テレビ東京)、紅白そっくり大賞(フジテレビ)、ものまねバトル(日本テレビ)といった数々のものまね番組を手がけてきたことは注目に値する。(※4)

 

 福浦がハモネプ企画を立ち上げた経緯については「ハモネプSTORY BOOK」(※5)に詳しい。かれは新コーナーを立ち上げるにあたり、当時流行の兆しを見せていたアカペラに注目する。ウェブサイト上でアカペラグループを探す中で、高校生グループの「レプリカ」を知ったという。そのメンバーのひとりが、ボイパを担当しながら同時にグループの指導にあたっていた「おっくん」であった。

 福浦は、前述の同番組プロデューサー・吉田にアカペラ企画を提案 。吉田はレプリカの演奏、とりわけボイパの「まるで伴奏をテープで流しているかのような音色」に驚き、「これはいける!」と直感したと振り返っている。‎

 おっくんはレプリカのメンバー中、唯一の大学生であった。筑波大学アカペラサークルDoo-Wopに所属し、すでに関東の代表的アカペライベント「JAM」(Japan Acappella Movement)を立ち上げるなど大学アカペラ界で中心的に活躍する人物であった。レプリカには、メンバーに練習指導を請われるかたちで加入し、活動をしていた。その姿に、福浦の目が止まった。

 聴衆を一瞬にして惹き込むボイパの技術と、童顔にぴったりの笑顔、ちらりと見せる真剣な眼差し、他のハモネプ出演グループの指導まで積極的に行う献身性、また史上最年少で気象予報士資格をとったという「裏設定」。おっくんには、これ以上ない主人公的な器があった。

 

 迎えたハモネプの初回放送。おっくんが披露した「ボイパ」は、じつに多くの人に衝撃を与えた。唇や歯に空気を当てながら声を発することで、バスドラム、ハイハット、スネアドラムの音をリアルに再現する技術。そのおよそ人の声とは思えない音色に、視聴者は驚いた。

 またレプリカのメンバー6人でみせた「夜空ノムコウ」でのアンサンブルに聴き入った。このときの演奏によって、のちに計り知れないほど多くのボイパプレイヤーが生まれることとなる。

 

 影響力を示す証拠として具体的な数字を示そう。たとえばかれのボイパの演奏方法が紹介された「ハモネプスタートブック」(※6)は14万部を超えるベストセラーとなる。多くの若者がこの本を片手にボイパを身に着けようと苦心した(筆者もその一人)。その後全国にアカペラサークルが生まれるが、ボイパが後進へと伝承されていく基礎となったのは、同著に書かれたおっくんの演奏方法であった。

 またこのときの演奏は、ヒューマンビートボックスにたいしても大きな影響がある。ヒューマンビートボクサーのDaichiやHIKAKINは、あゆみのきっかけはおっくんの演奏であったと公言している(※7)

 ともかくかれの演奏は大きな反響を生んだ。「ハモネプ」はまもなくレギュラーコーナーとなり、看板コーナーへと成長する。

 

ライバルの登場

 

 あらゆる青春物語において無くてはならないのが、ライバルの存在だ。ハモネプにおいてもライバルが効果的に使われた。

 第3回目の放送でアカペラグループ「ぽち」が登場する。混声4人の同グループのなか、ひときわカリスマ性を放っていたのがボイパ担当の「けんぞー」であった。茶髪に、着崩した制服(※8)、なにより、そのボイパのスタイルはきわめて鮮烈であった。マイクのヘッド部分を手で囲い(※9)、スクラッチ音を想像させる高音域の音色を交えた演奏。いまでは一般的に見られるヒューマンビートボクサーのスタイルを、いち早くテレビで披露した人物であるといえる。

 「どこか不良っぽいけんぞー」の存在は、スタンダードなドラム音の模倣を行い学ランをホックまで止めた「まじめなおっくん」とはまさに対象的であった。演奏曲も対象的に映る。レプリカはJポップのカバーを中心とし、ぽちはR&Bの曲のカバーを中心としていた。

 このふたりをライバルとしておおいに煽ることで、番組はさらなる盛り上がりを見せる。

 

「関東VS関西」から「全国大会」へ

 

 ハモネプでは「関東VS関西」という構図が効果的に使われた。

 おっくんによる発声を主としたボイパ演奏を「関東流ボイパ」、けんぞーによるマイクに空気を当てる音を主としたボイパ演奏を「関西流ボイパ」と紹介する。当時、ほんとうにそのような呼ばれ方が存在したのかどうかは不明だが、番組としては少なくとも、対立軸を鮮明にするために使い勝手がよかったのだろう。

 2001年5月の第4回放送では、この「関東VS関西」がこれ以上なく効果的に使われた。

 番組冒頭、ナレーションによって「日本のアカペラブームの中心は関西」であると断言され、けんぞーが追認するように「関西は勢いが全然違う」とコメントする。これに対しネプチューン・名倉がおっくんに対し「こんなん言われてるけれど大丈夫か」と煽り、おっくんは「関東も頑張るよ」と応酬する。そして次の瞬間に発表されたのが、「全国大会の開催」であった。

 いかにもテレビ的な演出ではあるが、それまでけっしてメジャーとは言えなかったアカペラやボイパの勢力図を、「地域」という軸を用いてわかりやすく整理したという点は評価されるべきであろう。

 こうして発表された全国大会=「全国ハモネプリーグ」は、審査基準として歌唱力、曲のアレンジ力に加え、はっきりと「キャラクターなども踏まえ」とテレビ的な要素を排さない態度が明言されていた。またこの回より日本アカペラ連盟の代表を務める犬飼将博が解説として登場する。審査基準に一定の客観性を持たせることを明示した格好だ。

 

「普通の若者」と、ネプチューンの「いじり」

 

 以降、ネプチューンの3人が全国各地をめぐりながら、「ハモリっち」と出会っていくことになる。

 関西地区予選で登場した女子高生5人組のグループ「HATCH」は、インターネットを介して集まったグループだ。当時パソコン通信が急速に普及していった時期であり、当時の若者文化のいち側面を紹介するような演出がなされた。

 アカペラと若者文化とのかかわりを全面に出した演出は、その後も様々な場面でつかわれる。たとえば演奏前に携帯電話(いわゆる「ガラケー」)の通話開始ボタンを押したときに鳴る音(「ソ」)を音叉代わりにし、ピッチ調整をするシーンは、「ハモネプ=若者文化の象徴」として描くにあたりきわめて効果的であり、その後も何度も描かれた。

 

 出演者はみな、番組のコンセプト通り「普通の若者っぽさ」があった。ではそんな若者たちは、どのようにして人気を得ていったのか。

 わかりやすい例をひとつ挙げよう。2001年6月の関東地区予選で登場した「チン☆パラ」は埼玉大学在学中のグループであった。6人のいでたちをひと目みたネプチューンはすぐさま、頭を剃り上げたメンバー・コータに注目。「ハゲコーラス」などといじり、笑いを誘った。楽曲「if...」でラップを披露するそのメンバーに、会場からも笑いが起こる。視聴者も感情移入し、「ハゲ」の姿とともにグループを認識した(※10)

 ハモネプには、ネプチューンの存在はなくてはならなかった。出演者を効果的に「いじる」ことによって、わずかな放送時間ながら、普通の若者にたいして確実にキャラが付与されていった。

 ほかにもアイドル枠、イケメン枠、お笑い枠、アニメオタク、(沖縄)民謡などバラエティに富んだグループが出演。それぞれキャラが与えられ、全国大会への切符を掴んでいった。

 

ボイパを中心とした展開

 

  前述の「HATCH」のメンバーには番組初の「女子高生ボイスパーカッション」がいた。ハモネプではその後も回を重ねるごとに、さまざまな特徴をもったボイパプレイヤーが登場していく。

 なかでも西日本各地の精鋭によって結成された「こすへらす」の存在は特筆すべきであろう。同チームは2001年6月の中・四国地区予選に登場し「打倒!おっくん 全員がボイパのドリームチーム」という紹介がなされた。

 「ニコラス」(小野アヤト、のち「チュチュチュファミリー」ほか)を筆頭にメンバー全員がボイパを演奏するこすへらすにたいし、宿命のライバルであったおっくんとけんぞーがタッグを組み、ボイパバトルを展開した。まるで少年漫画のワンシーンのような演出である。

 全国大会では、これまで挙げたレプリカ、ぽち、チン☆パラ、こすへらすの4グループが「優勝候補」として紹介されることとなる。いずれもボイパの存在が際立つことが特徴だ。なお、チン☆パラでボイパを務める「ヤシ」(ハヤシヨシノリ、のち「SMELLMAN」ほか)も、番組中「高速ボイパに注目」といった紹介がなされている。

 

 注目すべきは、この4グループのボイパプレイヤーが、それぞれのちに築き上げていったプレースタイルである。その歩みは、後進のボイパプレイヤーに多大な影響を与えた。

 

 「レプリカ」おっくんはその後、「ボイスパーカッション」としか形容できない演奏方法を確立していく。歯に空気を当てながら声を発し、その音程だけを上下させ続けるような音色(※11、たとえばRAG FAIR「恋のマイレージ」)は、ドラムセットの模倣を離れた、ボイパ独特の打楽器表現である。そしてその音色は、RAG FAIR最大の特長たる賑やかしさや底抜けの明るさを生み出している。

 

 「ぽち」けんぞーは自身の演奏方法を「ヒューマンビートボックス」であると明言し(※12)、かれはハモネプ登場のたびにスクラッチ音やベース音などといった派手な「新技」を披露し続けた。なお2004年よりBEATBOXER KENZOという名で活動開始、2006年からはBEATBOXER TEDDY(現:TeddyLoid…※13)とともに「BEATBOX unit ZEN」というユニットで活動している。

 

 「チン☆パラ」ヤシはメジャーデビュー後、グループの中心人物としてアカペラ/ボイパ表現を開拓し続けた。チン☆パラの解散後引き継いだSMELLMANに至るまで、ロックミュージックを中心にヒップホップやエレクトロニックミュージックなどを取り込んだミクスチャー表現を、エフェクター等の機材を駆使し実践。2009年にはROCK IN JAPAN FESTIVAL 2009にアカペラグループでありながら出演も果たしている(※14)

 

 「こすへらす」ニコラスはのちにアカペラグループ・チュチュチュファミリーの一員として活動。またプロボイスパーカッション奏者として楽器表現とのセッションを積極的に行う(※15)。上記3人とは異なりドラム表現に忠実であり、だからこそ伝統的な他ジャンルとの確かな交流を可能としている。なにより本サイトにとって注目すべきは、自身が経営するバーにおいて、ミュージシャンが集まるコミュニティを作り続けていることである(ボイパの媒介的な生き方については本サイト項目「媒介者としてのボイパプレイヤー」を参照されたい)

 

「アカペラの苦しみ」の代弁者

 

 予選を突破し念願の全国大会の舞台に立った23組の若者たち。しかしかれらは必ずしも万全の演奏を行えたわけではなかった。のちに発売された「全国ハモネプリーグ LIVE! VOL.1」(※16)では、出演者が緊張により声が震える様子などが散見される。

 

 アカペラは難しい。音程や歌詞を記憶に刻み込んだうえで練習に望んでも、ほかのメンバーの歌声に、ついつられてしまう。ひとりの音程に合わせると、もうひとりの音程からかけ離れてしまうこともしばしばだ。音程に気をとられていると、こんどはテンポがどんどん加速したり遅くなっていく。声の震えによって生まれた微妙な音程のズレが、曲全体に致命的な影響を及ぼし、取り返しのつかない大失敗をしてしまう。

 5〜6人の人間が集い、楽器に頼らず一曲を作ることは、このように多くの苦難がある。当然ながら、練習中は険悪にもなる。そしてその苦難を乗り越えるのは困難であるし、だからこそ「ドラマ」になりうる。

 レプリカはハモネプにおいて、その苦悩の代弁者として存在した。ハモネプ初回放送で鮮烈な演奏を行ったレプリカは、その下馬評の高さゆえ、全国大会で大きなプレッシャーを負うこととなる。演奏した「KISS OF LIFE」では、全員の暗く硬い表情が見られる。いま聴き返しても、きわめて強い緊張感に包まれていることがわかる。

 その一方でチン☆パラやこすへらすは堂々とした演奏を行い、ぽちは喉ベースやハーモニカといった派手な演出で観客を魅了した。結果的にチン☆パラとぽちが順当に決勝へと勝ち進み、最終演奏を経てぽちが優勝を果たした。

 喜びを表すぽちの面々。他方でレプリカのメンバーががっくりと肩を落としている姿が、とても印象的に描かれた。それはアカペラの本質的な難しさと、本番で失敗する怖さを知っている経験者であれば、痛いほど共感できる姿ではないだろうか?

 

全国大会の余波と「第2世代」

 

 第1回全国ハモネプリーグの放送は平均視聴率18%という高視聴率をつくりだした。放送直後、この大会の模様を収録した「ハモネプ全国大会LIVE CD」を限定5000枚で電話受付のみで販売したところ、2日で280万コールを記録したという。優勝したぽちと準優勝したチン☆パラはそれぞれ副賞としてCDをリリース。ぽちのミニアルバム「SONGS」(※17)はオリコンアルバムチャート最高位9位・15万枚、チン☆パラのミニアルバム「La-Punch」(※18)は同チャート最高位6位・25万枚を売り上げた。

 まもなく第2回全国ハモネプリーグの開催が告知される。第1回では予選に20〜30の応募があったというが、第2回では100組超。その中から「第2世代」と呼ばれるグループが生まれ、個性を発揮していくこととなる。

 そして第2世代も、中心となるのが「ボイパ」であった。愛知県の高校生グループ「Z☆MA」のリーダー「わたる」(吉田渉、現:フジテレビディレクター)は、ハモネプを見てボイパを始めたという。のちにけんぞーに「弟子入り」して技術を習得する姿が描かれるなど、またもや少年漫画的な表現がつかわれた。

 福井県の高校生グループ「ブラスターズ」は、メンバー全員が効果音を発することで、野球場の様子や救急車搬送の様子などを描いたミニコントを披露。演奏外ではあるが新たなボイパ表現を実践した。加えて中学生メンバーでボイパパートの「たつろー」(飯田達郎、現:劇団四季所属俳優)は、日本アカペラ連盟の犬飼代表をして「中学生ナンバーワン」と言わしめている。

 

主人公・レプリカの優勝

 

 新たな実力者がつぎつぎと台頭するなか、第1回大会で深い挫折を味わったレプリカは、休止状態となっていた。

 そんなときに決定したのが、おっくんが所属するRAG FAIRのメジャーデビューである。「素人としてハモネプに出演できるのはこれが最後」ということも決まった。

 その事実を知ったレプリカのメンバーは奮起した。練習を重ね、2002年1月の関東予選で「風になりたい」を演奏。この間奏でかれらは「6人同時ボイパ」というわざを演じる。メンバーの表情も、演奏から聴こえてくる声も、曲のモチーフとあいまって、解き放たれたように明るい印象を与えてくれる。

 

 経験者であれば同意してくれると思うのだが、アカペラは長く続けていると、ほんとうにふとしたきっかけで、何もかもがばっちりと噛み合う瞬間がある。その日を境に、とたんにアカペラが楽しくて仕方なくなってしまうのだ。苦難を乗り越えて得た境地であれば、なおさらである。その楽しみを演じてみせたのがレプリカであった。その点においても、このグループの存在はハモネプにとってあまりに大きく、特別であった(※19)。

 そしてレプリカは、第2回全国ハモネプリーグ予選で「Man & Woman」を演奏。明るい表情と間奏のボイストランペットはなんとも温かみがあった。予選を突破し迎えた決勝では、これまで一貫してボイパのみ演奏しつづけてきたおっくんが冒頭、リードボーカルを務めた。楽曲は「らいおんハート」。このときの演奏を、プロデューサーの吉田はこう振り返る。

 

 『らいおんハート』をおっくんが歌いだしたとき、会場の空気は確かに変わった。文句なしの優勝でした。ハモネプを支えているのは、技術だけじゃないんです。技術以外で何かを伝える力、青春の象徴のようなパワーがハモネプを支える最大の柱です。

 集英社「ハモネプSTORY BOOK」より抜粋

 

 第2回全国ハモネプリーグは、レプリカが優勝、Z☆MAが準優勝という結果で幕を閉じた。

 

ハモネプは革命を起こしたか

 

 頂点に立ったグループはたった一組。けれど、終わってしまえばそこには友情が……そう。今の彼らにとって多くの仲間に出会えたことが、ハモネプ一番の思い出。こうして全国から集まった実力者たちは、ひとつの大きな宝物を抱えストリートへ帰っていく……。

 そして今、ここは埼玉県・大宮、レプリカの練習場。ハモネプとともに育った申し子というべき6人の姿はもうない。けれど、彼らの残したハーモニーはきっと、日本中の若者に響いているに違いない。

 

 第2回ハモネプリーグ終了後のナレーションである。この言葉通り、レプリカのハーモニーは多くの若者に響いた。第3回大会には、全国から5000組ものエントリーがあったという。

 その影響は「力の限りゴーゴゴー!!」終了後も脈々と続いた。全国にアカペラサークルが生まれ、そこを土壌にボイパプレイヤーも誕生し続けた。そして第3回ハモネプリーグ終了から5年後に特別番組として復活を果たした。それから2011年8月に至るまでおよそ半年に1度のペースで開催。ここでも様々なアカペラグループが名を上げ、さらなる影響を与えた。

 

 ボイパの文脈で言えば、YU-KI(のちアカペラグループ「SOLZICK」加入、現在名古ユウキとしてソロで活動)やDaichi(現在ヒューマンビートボクサー)が「新世代ボイパ」として登場。また「ボイパリーグ」というコーナーが設けられHIKAKIN(現在YouTuber、別項目で紹介やすらぷるため(現在ヒューマンビートボクサー)もハモネプをきっかけに知名度を伸ばし、活躍の裾野を広げていくこととなる。

 

 ここで私たちは本論の冒頭で示された疑問にぶつかる。ハモネプはたしかに、後世のアカペラプレイヤーや、ボイパプレイヤーに大きな影響を与えた。しかし、はたしてハモネプは「ミュージック・シーンに革命を起こした」のだろうか?

 

 その疑問に答えるかのような状況を、私は昨年末に目撃している。

 

 2018年12月21日、自宅で家族とともにテレビ朝日の特別番組「ミュージックステーションスーパーライブ2018」(※20)を見ていた。するとYouTuberの「HIKAKIN&SEIKIN」が登場した。

 かれらは、ハモネプの影響を大きく受けた兄弟である。そしてこのライブで歌った「今」(※21)という楽曲は、過去にヒューマンビートボクサーとして「けんぞー」とともに活動したTeddyLoidがサウンド・プロデューサーを務めたものだ。

 続いて登場したのが「Little Glee Monster」である。詳述はしないが、こちらもあらゆる意味でハモネプの文脈のある音楽グループである。この年のヒット曲「世界はあなたに笑いかけている」(※22)を抜群のハーモニーで熱唱し、会場を沸かせていた。

 その後「KAT-TUN」が舞台に上がり、「Ask Yourself」という楽曲を歌った。その間奏でメンバーの中丸雄一が、ヒューマンビートボックスを大勢の観客を前に披露していた。中丸は、おっくんによる指導を受けた経験があるといわれている。

 

 私はこのとき、この一連のアーティストの演奏にたいして、「最新の音楽シーンには、ハモネプの確かな影響がある」と感じていた。しかしSNSを眺めても「ハモネプの影響」を声高に指摘する人はいなかった。その事実よって、逆説的にハモネプの影響の大きさを感じたのである。つまり「ハモネプはすでに、自明のように音楽シーンに溶け込んでいる」――そんな確信を得たのだ。

 

 あるテレビ番組ディレクターが、高校生グループと、1人のボイパプレイヤーと出会った。このときに生まれた物語は、多くの若者に影響を与えた。そして影響を受けたアーティストは、日本の音楽シーンの第一線に確実にいて、多くの人に極上のエンターテインメントを提供しているのである。

 

 これを「革命」と表現すると、いささか過剰だろうか。

本論は敬称略。登場人物は基本的にハモネプコーナー上で使われたニックネームを使用する。

※1…これから1年後に開催される第3回大会には全国から5000組ものグループがエントリーしている。

※2…全国ハモネプリーグ―フジテレビ(https://www.fujitv.co.jp/hamonep/)2019年4月10日閲覧

※3…ベスト新書、吉田正樹著「怒る企画術!」

※4…IVSテレビ制作株式会社(https://www.ivstv.co.jp/)ほか参照

※5…集英社「ハモネプ STORY BOOK」

※6…ドレミ楽譜出版社、古屋恵子著、犬飼將博監修「ハモネプスタートブック トレーニングCD付 ハモってみよう!! 」、画像は筆者所有

※7…上越タウンジャーナル—ハモネプに出たHIKAKINさんは妙高市出身(https://www.joetsutj.com/articles/51734603)2018年10月9日閲覧、KAI-YOU.net「Daichi×AFRA 特別対談 ヒューマンビートボックスの未来」(http://kai-you.net/article/1138)2018年2月17日閲覧

※8…ぽちの面々は当時はすでに高校を卒業していたが、番組の以降もあるのだろう、高校生のような出で立ちでの登場であった。ちなみにかれらは高校生のうちに関西最大のアカペライベント「Kaja!」(関西アカペラジャンボリー)に登場するなど実力は折り紙付きであった

※9…このマイクを手で囲うスタイルはその後も番組内で散見されることになる。

※10…チン☆パラはその後全国大会での活躍などで人気は加速。ミニアルバム「La-Punch」がオリコン最高位6位、25万枚を売り上げ、のちにメジャーデビューを果たすこととなる。

※11…RAG FAIR「恋のマイレージ」。なお奥村の魅力については本サイト別項目で詳述している→おっくんの「気楽さ」

※12…ドレミ楽譜出版社、古屋恵子著「ハモネプMASTERBOOK―楽譜がいっぱ~い!!」より

※13…音楽プロデューサー。クラブミュージックやJ-POP、ヴィジュアル系、アニメなどさまざまなジャンルで活躍。HIKAKIN&SEIKINほかゆず、DAOKO、雅-miyavi-、キズナアイ等の楽曲プロデュース、ももいろクローバーZ、SOUL'd OUTの楽曲アレンジ等を行う。TeddyLoid Official Site:http://www.teddyloid.com/

※14…SMELLMAN - Live at RIJF2009

※15…小野アヤトによる楽器とのセッション

※16…左上から時計回りに1,2,3回大会のライブCD。画像は筆者所有

※17… #606、2001年11月、画像は筆者所有

※18…(有)ピー・エス・シー、2001年11月、画像は筆者所有

※19…ちなみに「レプリカ」というグループ名は、奥村が所属するRAGFAIRのレプリカ(複製品)という意味合いが込められている。その後メジャーデビューを果たし、オリコンチャート1・2位独占、紅白歌合戦出場などで全国のお茶の間にアカペラを広めたRAG FAIR。同時期にアカペラの苦しみと楽しみを正確に伝えたのがレプリカであった。「レプリカ」=「複製品」としてこれ以上ない存在ではなかっただろうか。

※20…テレビ朝日「ミュージックステーション」(https://www.tv-asahi.co.jp/music/contents/m_lineup/1326/index.html)2019年4月10日閲覧

※21…今 / ヒカキン & セイキン

※22…Little Glee Monster 『世界はあなたに笑いかけている』Short Ver.



参考

・「Myojo」 (編集)「ハモネプSTORY BOOK」(集英社)

・古屋恵子著、犬飼將博監修「ハモネプスタートブック トレーニングCD付 ハモってみよう!! 」(ドレミ楽譜出版社)

・古屋恵子著「ハモネプMASTER BOOK―楽譜がいっぱ~い!!」(ドレミ楽譜出版社)

・RAG FAIR著「RAG FAIR“RAG & PIECE”」(ソニーマガジンズ)

吉田正樹著「怒る企画術!」(ベスト新書

・上越タウンジャーナル—ハモネプに出たHIKAKINさんは妙高市出身(https://www.joetsutj.com/articles/51734603

・KAI-YOU.net「Daichi×AFRA 特別対談 ヒューマンビートボックスの未来」(http://kai-you.net/article/1138)

・IVSテレビ制作株式会社(https://www.ivstv.co.jp/)

TeddyLoid Official Site(http://www.teddyloid.com/

・mixiコミュニティBEATBOXER TEDDY(https://mixi.jp/view_community.pl?id=1566674)

・mixiコミュニティBEATBOXER KENZOhttps://mixi.jp/view_community.pl?id=1561670)ほか多数