3.ビートボックスへのコンプレックス

ハヤシヨシノリ インタビュー

SMELLMANてどんなアカペラバンドやねん、って時に25分くらいで把握する動画

――スメルマン結成後、ヤシさんは楽曲づくりへどんどん傾倒していきます。そのきっかけについて教えてください。

 

ハヤシ:じつはビートボックスへのコンプレックスがきっかけのひとつだったんです。大学生の頃は「ビートボックスをやっている人は怖い」というイメージがあった。今でこそそんなことはないとわかりますが、当時はぜんぜん情報がなくて。

 当時ハモネプで一緒になることが多かった「ぽち」(※12)のけんぞーくんが、よくビートボックスの録音を聴かせてくれました。かれはのちにビートボックスやヒップホップに傾倒していくわけですが、そのあたりの情報収集も早くて。移動のバスで一緒になったときには「海外のすごい音源が手に入ったんすよ」とRahzel(※13)などの演奏を聴かせてもらいました。

 そのときの衝撃はすごかった。自分もやるからにはナンバーワンを目指したいと思っていたので、ビートボックスを練習しはじめたんです。でも、ぜんぜんできない。そしてコンプレックスになってしまった。「おれヒューマンビートボックスできねーわ」と。

 

 自分が積み上げてきたものとは全然違う方面に、こんなすごい文化が育っていたこともショックでした。今ならネットで顔も見えるけれど、当時は音源しかなかったから、頭の中でどんどん怖いイメージが膨らむんです。「海外にはこういう連中がうずまいているのか」と考えていました。

 そして行き着いたのは「ビートボックスには敵わねえ」という認識でした。いまであれば、ビートボックスとボイスパーカッションにはそれぞれの特性と良さがあるというのがよくわかります。とてもざっくりと強引に分類すれば、「ビートボックスはひとりで構築するアート」あり、自分のアートと他の人とのアートを「バトル」させるコミュニケーションの文化です。一方でボイスパーカッションは、「アカペラのリズムセクション」として、ひとつの楽曲をつくるためにコミュニケーションをとる立ち位置。いまはこういう認識で腹落ちしてますが、当時はそれがごちゃごちゃしていました。

 

 そういったコンプレックスもあり、スメルマンの頃は「ボイパで戦う」というよりは「楽曲を示して戦う」という方面にシフトし、力を入れるようになっていました。

 

――スメルマンは聴き込むほどに曲にも歌詞にもこだわりが感じられ、まさに聴いている側も気が抜けないです。スメルマンの楽曲は、音楽経験を積み、また社会経験を積むほどに、より深みを感じられます。

 

ハヤシ:スメルマンで曲を作っていた頃は、毎晩のようにパソコンに向かっていて、朝の3、4時まで作業をしていました。日々それしか考えてくるからどんどんアイデアが出てくる。自分の声をたくさん重ねたり、いろんな声色を試したり試していました。ヘッドホンをするから外界とも切れていて、酒も飲んでいるし、どんどん白熱していきます。自分の好きな音楽を掛け合わせるなかで、窓の外から救急車の音が聞こえたら「じゃあこの音を使ってみようか」と入れ込んだりとかしていました。

 

 当時は「アカペラやボイパで面白いことができる」と思いつつも、一方コンプレックスを感じていた部分がありました。ゴスペラーズさんが活躍したり、ハモネプが流行っていたりしましたが、アカペラがつねにJ-POPのトップに躍り出るような状況でもなかったからです。先にも言った通り、ビートボックスへのコンプレックスともつながっている部分があるのかもしれません。

 やっぱり誰かの曲のコピーやカバーではなく、しっかりしたオリジナル曲で、音楽として響くものを届けたかった。歌詞・楽曲・アレンジが三位一体となって、聴いてくれる人の悩みや想いにアプローチできるようなものを作りたいと。

 

 印象的なのは「LOST IN ME」という曲です。自分としては転機となる曲でした。

SMELLMAN / LOST IN ME Lyric Video (official)

 当時は25歳だったのですが。プライベートでとある大きな事件が起きました。信じて疑わなかったものが、急に無くなってしまうような出来事でした。とても言葉では表せられないその気持ちを表現するには、当時のおれには幸か不幸か、音楽しかありませんでした。

 

 それまでは、「Xがかっこいい」だとか「ボイスパーカッションがすごい」だとか「MaLさんやテツさんが負けたくない」だとか、そういうモチベーションで技術ばかりを磨いてきた。おれがかつて追い求めてきたそういうモチベーションは、極端に言えば、音楽の「外側」だったということに気づいたんです。

 

 「LOST IN ME」を作ってからは、より音楽が好きになりました。自分の人生とつながっちゃった。メンバーにも聴いてもらって、背景も伝えたところ、大なり小なり共感した上でそれぞれのアウトプットをしてくれた。いい経験だったと思います。

 もちろん、それまで追い求めてきた技術も無駄ではありません。のちに発表したアルバム「Wao!!!!!」などは、歌詞に重きを置いた曲と、技術に重きを置いた曲の「振れ幅」を持たすことができました。

 そこまでいくと、ビートボックスへのコンプレックスなどはなくなっていました。「おれたちはアカペラだからこそ伝えられるメッセージがある」と、自信を持つことができました。

※12…混声4人のアカペラグループ。第1回ハモネプリーグ全国大会優勝。ボイパ担当の「けんぞー」は、レプリカ「おっくん」のライバルとして登場し、さまざまなボイパ技術をつぎつぎと披露。当時の演奏スタイルは後進に大きな影響を与えている。

※13…最も有名なヒューマンビートボクサーのひとり。ヒップホップユニット「ザ・ルーツ」の元メンバー。