2.苦悩の先にみえたもの

KAZZインタビュー

Baby BooはCASHBOXを拠点に活躍の幅を広げた
Baby BooはCASHBOXを拠点に活躍の幅を広げた

――Phew Phew L!veは震災のあとも関西アカペラで中心的な活躍し、多くのフォロワーを生み出してきました。しかし人気絶頂の中でKAZZさんは脱退を決意しました。どのような思いがあったのでしょうか。

 

KAZZ:Phew Phew L!veは関西だけでやっていくことを目指しているグループでした。一方でぼくはどうしてもメジャーデビューがしたかった。震災後、被災者に広がっていった歌声の輪を、さらに広げていきたいと思っていたのです。そこで生み出したのがBaby Booでした。

 

 グループを立ち上げるにあたり苦労したのがメンバー募集です。アカペラが浸透していない時代だったので、あまり面接を受けに来てくれない。200人くらいに会いに行くなかで苦労してグループを作った思い出があります。ともかく1996年には無事に活動をスタートさせました。2000年頃には年間250本のライブを実施するなど活動してきました。関東から渡辺悠くん(※6)や、おっくん(奥村まさよし、※7)も見に来てくれたのを覚えています。

 

 そして2002年にメジャーデビューの話がやってきました。ファースト・アルバムにはなんと1億円もの予算がかけられ、制作スタッフも、音楽シーンの第一線で活躍する人ばかり。「ぜったいに売れなければならない」という猛烈なプレッシャーのなか、レコーディングが始まりました。

 当時は「アカペラグループ」ではなく「ヴォーカルグループ」という立ち位置でデビューした。がっつり楽器が入るなかで、ボイパのレコーディングをする必要に迫られました。そこで、ボイパの「無力さ」に愕然とさせられるような経験をしました。まずレンジ(音域)が狭すぎる。さらに音圧がないので、楽器のなかでボイパがほとんど聴こえてこないのです。

 

 そこから、いかにボイパの特徴を出していくかという試行錯誤が始まりました。幸いなことに当時ぼくは「ボイパの第一人者」として見られていたから、「こいつが悩んでいるから皆で解決しよう」という体制を作ってもらえていた。しかし、なかなか状況は打破できません。

 ファースト・アルバム(「BABY BOO」、※8)のなかに入っている「プラネタリウム」を聴いてみてください。あの曲で鳴っているリズムパートの音は、すべてボイパなんですね。しかし、ぜんぜんボイパらしい音に聞こえません。なぜあのような音になったのかというと、楽器の中でボイパを際立たせようとするために、レンジをコンピューター処理によって拡げる処理をしたからです。すると「打ち込みのような音」になってしまうんですね。さらにこの曲では、ドラマーの則竹裕之さんにドラムを叩いてもらい、その音を事前に録音したぼくの音を反応させました。すると、ますます「ボイパらしい音」に聴こえなくなってしまいます。

 

 この経験から「ボイパは、ドラムや打ち込みとはまったく異なる表現なんだ」ということを知ることになりました。つまり、コンピューターやほかの楽器を一度通過させたことによって、大きな違いがあることが体感的にわかったんです。

 一方で、悩みも深くなりました。「このグループにボイパは必要なのか」と。精神的に追い詰められるなか、さらに追い打ちをかけられるような出来事がおきます。

 

「KAZZさんみたいなリズムを作りたい」

 

 その頃ライブで「プラネタリウム」を演奏する予定となっていました。さまざまな管弦楽器があるなかでリハーサルをすると、やっぱりボイパの音は「薄い」んです。コンガなどのパーカッションを追加したり、マイクもいろんなものを使ったりして試行錯誤した。でもどうしても薄味なんですね。

 そしてとうとう、プロデューサーから最後通告のように「ドラムを入れよう」と言われてしまいます。ぼくは、絶句してしまいました。結局ライブ本番では、ドラムと一緒にボイスパーカッションを演奏することになりました。むなしくて、ほとんど泣きながらの出演でした。

 

 振り返ってみれば「おれはボイパで世界に行ける」と思ってこれまで活動してきたわけです。それなのに、ドラムの隣で、寂しくボイパをやっている。「ぜんぜん違うところにきてしまった」「おれなんかがおってもしゃあない」「このライブを最後してやめてしまおう」という思いがぐるぐると頭の中をまわっていました。

 でも、やっぱり人は、追いつめられたときに光明が差すんですね。この日一緒にドラムで演奏した河村徹さんが、このように言れたのです。「ぼく、KAZZさんみたいなリズムをつくりたいんですよね」と。「KAZZさんのように、歌うようなリズムを作りたいんです。そんなリズムが作れたらどんなに楽しいかと思っている」――。

 ぼくはずっと「ドラムに負けている」と思っていました。しかしドラマーから見れば、まったく違う魅力が、ボイパにあったということです。

 

 この言葉についてずっと考えてきました。おそらく、音と音の「間」がポイントなんだと思います。レコーディングしたときの波形を見るとわかりますが、ドラム演奏は鋭角の山が見えます。一方でボイパは緩やかな波になっているんです。それが徹さんの言うところの「歌うようなリズム」だと思います。そしてこの緩やかな波(=グルーヴ)こそが、人間にしかできないことだと思います。

 

「師匠/弟子」の関係でボイパを伝える

 

――現在KAZZさんは後進育成にも力を入れています。CASHBOXで10年以上にわたり開催している「ボイパ道場」でも、このようなご経験を教えているのでしょうか。

 

KAZZ:まさに「ボイパは歌であれ」と伝えています。これは苦しんだ経験があったからこそ伝えられることだと思います。ボイスパーカッションを突き詰めていくと、歌がうまくなる過程と似ています。ではどうやったら歌のようになるのか。道場では明確な答えは出しません。大切にしているのは、それを自分自身で考えてもらうことです。

 考える力を養うために、一つひとつの音を具体的な響きのイメージを持ちながら打つように指導しています。ぼくたちはそれを「一打入魂」と呼んでいます。たとえばキックドラムを鳴らすときにドラマーがペダルで踏み、革が叩かれ、太鼓の内部が響き、それが空中に広がり、スタジオにも反射しながらようやく耳に届く……そんなイメージをしてもらう。ハイハットでもスネアでも同じです。ドラムは響きの集合体であり、単純な「ド・ツ・タ・ツ」ではないことがわかってきます。響きがイメージできないと、ボイスパーカッションの音にはなりません。

 

 具体的な音の出し方は、あまり教えていません。そもそも一人ひとり口の形も声の高さも身体の大きさもが違うので、万人に通じる答えがありません。それよりも「良い音にするための考え方」「イメージの持ち方」に力点を置いています。学校のように答えを教えてもらう場所ではない。だからボイパ道場では「先生/生徒」ではなく「師匠/弟子」と呼びあっています。

 

 ボイパ道場には、ほんとうにいろんな人が来るようになりました。ギターの演奏者が「エド・シーランみたいなことがやりたいからボイパ教えてください」とやってきたり、ジャズシンガーが「ドラムとセッションしたいので教えてください」と言ってきたり。年齢層も広がった。小学1年生が通っています。やっぱりYouTubeが登場してから大きく変化しました。もちろん、すごく良いことだと思っています。

 でもひとつだけ言いたい。最近の若い子はみんな揃って「YouTubeの音」やねん(笑)!音の出し方がみんな一緒だし、ノリも一緒。たぶんおなじ動画を見ながら完コピしてるんやろなってのがわかる。

 

 大切なのはどんな演奏をしたいのかという「ゴール」を考えることだと思います。そこが明確であれば、もっと個性が出していけます。道場では、弟子にたいして「ほんまに理想の音が出せとんのか?」と問いかけています。すると、つぎに会ったときに音やノリが変わっているのがわかる。たとえばハイハットの使い方を少し変えるだけで、ボイパはがらっと変わるんです。そこに自分で気づかせてあげるための道場なんです。

 

 

――師匠と弟子の関係性のなかで対面で教えるからこそ得られる学びですね。ボイパ道場は、画面越しで学ぶYouTubeとは、対極にある存在だと思います。

※6…渡辺悠・・・「ボイパ本」(リットーミュージック)著者で、日本におけるボイスパーカッション普及の最重要人物のひとり。アカペラグループ「香港好運」のメンバー

※7…おっくん(奥村まさよし)・・・アカペラグループRAG FAIR元メンバー、現政治家。テレビ番組を通じボイパを世間に認知させた。インタビューはこちら

※8…「BABY BOO」・・・2002年8月発売のBaby Booファースト・アルバム。ファースト・シングル「プラネタリウム」ほか12曲を収録。レーベルはワーナーミュージックジャパン。画像は筆者所有。