2.ボイスパーカッションの新たな価値を創造

ボイスパーカッション奏者・三浦翔

東京学芸大学アカペラサークルInfini在籍時の三浦
東京学芸大学アカペラサークルInfini在籍時の三浦

■同期の学生の一言に奮起

ーーここからは、三浦さんのお人柄にも迫っていきたいと思います。三浦さんは東京学芸大学アカペラサークルInfiniでボイパのキャリアをスタートし、学生時代からとても活躍していますが、まずはボイパをするようになったきっかけを教えてください。

 

三浦:音楽をはじめたのは大学生になってからです。動機は不純そのもので、美人な女性の先輩に勧誘され、ついて行ったらアカペラサークルだった。その先輩に「君をライブに誘いたいからメールアドレスを教えて」と言われて書き込んだ紙が、入部届だったのです。ウソみたいな話でしょう(笑)。

 アカペラサークルに入ったのでボーカルかコーラスをやるものだと思っていましたが、入部直後に渡された譜面には、なぜかすでに「ボイスパーカッション:三浦」と書き込んであった。仕方がないから練習をした。これがぼくのボイパとの出会いです。

 それから2年間は何の刺激もない日々を過ごしました。サークルの雰囲気はゆるく、週に1、2回集まってだらだらと歌い、一番の楽しみと言えば練習後にみんなでラーメンを食べに行くことでした。

 そんなあるとき、同期の仲間からアカペラグループに誘われました。その時の誘い文句が、「いろんな人を勧誘したけれど断られてしまった。三浦、うちのグループで頑張ってみない?」というものでした。

 つまり、同期から「チャンスをあげる」と言われたのです。周りからの評価の低さをそこで知り、ボイパの上手い下手について真剣に考えるようになりました。

 

■リズム・グルーヴへの探求

三浦:程なくして、一橋大学のアカペラサークルThe First Cryに遊びに行く機会がありました。そこで、一つ年下のボイスパーカッション奏者と出会いました。

 ぼくの目には彼の演奏はすばらしく映り、特にフィルインのセンスが抜群で、一度聴いただけで魅了されました。ところが、サークル内で彼は誰からも評価されていませんでした。理由は、いわゆるそのサークルの先輩たちの思う「ボイパらしい音」を鳴らせていないから、というものでした。音色の良し悪しだけがボイパの価値を決めるとはぼくには思えず、より一層、ボイパの上手い下手とはいったい何なのかと追求するきっかけとなりました。

 ちなみに、そのボイスパーカッション奏者とは仲良くなり、夜な夜な、ああでもないこうでもないと議論し合いました。同時期に、バークリー音楽大学で音楽を教えているリー・アべ(※)さんのワークショップを受講して、「リズムやグルーヴというのは感覚だけで語るものではなく、基礎となるロジックがある」ということも学びました。ボイパや「リズム」について探求する日々は楽しかったです。

 

■「年100本のライブ」が大前提

V.B.Vでの演奏の様子
V.B.Vでの演奏の様子

 

ーー三浦さんは学生時代、「ボーカル」「ベース」「ボイスパーカッション」という珍しい編成のグループで演奏活動をしていましたね。

 

三浦:ボーカル、ベース、ボイパの頭文字を取った「V.B.V」という3人組グループです。リー・アべさんから学んだ「リズムとグルーヴ」を探求するために結成しました。同時にアカペラでいかに即興演奏ができるかを追い求め、演奏楽曲はスキャットを多用するJazzが中心。ライブハウスを中心に年間50回のペースで出演していました。

 活発に動いていると縁にも恵まれるもので、JARNZΩ、AJI、ダイナマイトしゃかりきサ〜カス、SOLZICK、東京テレフォニカ、SMELLMANといったプロアカペラグループが登場するライブに、前座として出演させていただく機会がありました。そのライブの打ち上げが、ぼくにとって運命の分岐点でした。

 当時、SOLZICKのボイスパーカッション奏者だったTakashiさんに「どうしたら上手くなれるのか」と尋ねました。すると「ライブの出演量が圧倒的に少ない。最低でも年間100本はやらないと、上手くなりようがない」と言うのです。年間50本のライブ回数で満足していたことに恥ずかしくなり、自分の甘さにようやく気づかされました。

 

■「曲を書いたことないでしょ」

 

三浦:この日の打ち上げで、SMELLMANのボイスパーカッション奏者のヤシ(ハヤシヨシノリ)さんにも同じ質問をしました。ヤシさんは「いいグルーヴだったと思うし、技術も高い」と褒めていただいた後に、こう付け足しました。「三浦くんは曲を書いたことないでしょ」と。

 「三浦くんのボイスパーカッションには不自然な部分がある。音作りが、フィルインが、曲にフィットしていない。曲を書いた経験のなさが、端々に出ている」と言うのです。確かにぼくは当時、曲を書いた経験がなく、ヤシさんの眼力の鋭さに驚きました。

 それから、曲を書きはじめました。書けば書くほど、「ここはこんな歌詞だから、こういうコード進行だから、こういうアプローチのメロディだから、こういうテーマの曲だから、ボイスパーカッションではこうアプローチをすべきだろう」ということがイメージできるようになっていきました。今のぼくがあるのは、的確なアドバイスをくださったTakashiさんとヤシさんのおかげです。

 

■“ボイパのプロ”を一般的な存在に

高い演奏力でアーティストを支え、会場を盛り上げる
高い演奏力でアーティストを支え、会場を盛り上げる

 

――その後、プロのボイスパーカッション奏者として活動をスタートすることとなります。どういった経緯で決断したのですか。

 

三浦:プロになる以前、国分寺のGiveHearts(ギブハーツ)というライブハウスで、音響・照明スタッフとして働いていた頃に、こんな出来事がありました。

 ステージに上がったあるコーラスグループが、いわゆる「コールアンドレスポンス」を行っていました。会場は、お客さんだけでなくスタッフも巻き込む形で大いに盛り上がっていました。その折、GiveHeartsの店長に「三浦もボイパでレスポンスに参加してみなよ」と強引に背中を押され、照明席に出されたマイクでボイパをすることになりました。

 それが思いのほか好評で、「GiveHeartsにはボイパができるスタッフがいる」との噂が広がっていきました。徐々にプロのアーティストのステージに上げていただくことが増え、「この方たちと一緒のステージに立つのであれば、アマチュアではいられないな」と考えたのが、プロになった理由です。

 

――2014年のプロ活動開始から10年が経過しました。今思うこと、今後の展望を教えてください。

 

三浦:プロになるにあたって掲げた目標があります。それは、"ボイパのプロ”という道を、若い人に示すこと。プロのドラマーのように、"ボイパのプロ”も一般的にしたい。そのためにぼくが活躍しようと決めたのです。

 道のりは決して平坦ではありませんでした。そして、これからも険しいでしょう。インタビューの前半で挙げた「ボイパの強み」は、小さなライブハウスのような会場でこそ発揮されますが、1~2万人の観客が入るような会場では生かしきるのが難しい。でも、そういう舞台で活躍していかなければ後進に道は示せません。

 プロの奏者として、これまで誰も気がつかなかったボイパの価値をもっと創造し、どんどん提示していくのも重要であり、ぼくの使命だと思っています。

 今回、神園さやかさんのアルバム制作を通して、ボイパのあり方、ボイパ奏者の立ち振る舞い方の一つのサンプルを生み出すことができました。これは、ぼくが10年間の試行錯誤で導き出した一つの答えです。ぜひ聴いていただけるとうれしいです。

 


三浦さんは狛江FMの番組「“WE”DNESDAY LOVES MUSIC!」(毎週水曜朝8:00〜11:00)に出演しています。さまざまなゲストとボイスパーカッションでコラボすることも。ぜひチェックしてみてください。ライブ出演情報、ツイキャスの放送などはTwitter(@shomiura_vp)からご確認ください。

※…リー・アベ/バークリー音楽大学ジャズ作曲科卒業。現在同大学コンテンポラリー作曲・製作科准教授。ジャズヴォーカルグループ“Syncopation”のメンバー。ヴォーカル、作編曲及びプロデュースを担当。全米最大のアカペラコンテスト「Harmony Sweepstakes」の本選では、日本人として初の受賞となる「ベストアレンジャー賞」を受賞。その編曲は多くの著名人から高い定評を受けている。また、日本でも編曲、グルーヴなどを中心として教育活動にも力を入れており、帰国時には各地でワークショップも行っている。(引用:https://vocaljapan.jp/event/796