2.老若男女が楽しめるイベントに

二宮孝 インタビュー

鶴舞公園で行われる「FAN」
鶴舞公園で行われる「FAN」

――高校生へのアカペラ普及・指導とともに、鶴舞公園(※1)で毎年開催されるFAN(名古屋アカペラフェスティヴァル)の実行委員長としても活躍されています。こちらもまた、アカペラをより広い世代にアピールしていこうという意識が強く現れたイベントだと思います。たとえば私が見に行った際も、鶴舞公園のステージを囲み、じっくりと鑑賞する老若男女様子が見られました。どのようにしてあの雰囲気を作り上げていったのでしょう。

 

二宮:前提として、オープンスペースで行うアカペラの生演奏は、やっぱり魅力があります。マイクとスピーカーさえセットしておけば、ポップス、ジャズ、ムード歌謡などありとあらゆるジャンルの音楽を絶え間なく聴かせることができますから。これを楽器でやろうとすると、配置を変えるなど毎回準備の必要があります。機動力の高さが、アカペラの魅力ですね。そんな中、FANは「より多世代に届けよう」という意識を向けています。

 

 FANは2002年からスタートしました。もともとは別の方が立ち上げたもので、「名古屋にJAMやKaja!のようなイベントを」という思いがあったようです。

 ぼくはもともと、野外の大きなイベントには興味がなく、どちらかというと観客と近いライブハウスのような場所が好きだったんです。そんなぼくがFANと本格的につながったのが、2005年でした。たまたま暇があり「行ってみるか」という気持ちで覗いたんです。その日は3月末にも関わらず、雪の降る寒い日でした。そんな中、ぶるぶると震えながら応援しているお客さんが100人くらいいらっしゃった。

 「すごいな」と思いました。こういう野外のイベントには、こんなに需要とか、期待があったのかと驚いたんです。そして翌年から実行委員として関わらせていただきました。2007年からは実行委員長として運営をしています。

 

 こだわっているのは、「たまたまいらっしゃった方にも楽しんでもらうこと」です。鶴舞公園はオープンスペースなので、「ただ歌の上手いグループばかりを集めるだけじゃなく、その場所や時間帯に合った選曲やキャラクター性も含めてグループを選ぼう」という思いを共有しています。

 アカペラのライブを見に行ったときに目にするのは、目当てのグループの演奏が終わった瞬間に、観客がごそっと離れていく様子です。サークルの仲間に向けて歌っているんですね。それはそれで良いのですが、ぼくはやっぱり「1日通して全部おもしろかった」というイベントを目標にしたいと思っています。

 そのためには、選考の方法からこだわっています。たとえば「ゲスト選考員」として、中学生や主婦の方にも来ていただいています。世代間交流ができますし、その年の流行を取り入れることができるんですね。ちなみに、ゲスト選考員は誰が務めているのかについては、一切公表していません。「なんであのグループが選ばれたんだ」などと個別に攻撃が向けられるのを防ぐためです。

 曲順も考え抜いています。たとえばラストにアップテンポで元気なグループが出てしまうと、1日のライブのすべてを、そのグループが持っていってしまう。むしろ最後はバラードで締めると、「今日のライブよかったね」と思ってもらえるんです。

 

 こうしたスタンスは、会場となっている鶴舞公園の管理者の方からも好評をいただいているようです。おなじ管理者の方から、「久屋大通庭園フラリエ」という場所でもライブをやってほしい、というご依頼をいただきました。会場側からお声をかけてもらえるイベントづくりができているのは、ぼくの誇りです。

 

――二宮さんは本業としてコンサートプロデュースや運営を行っています。FANのノウハウは、やはりそこから来ているものだと思います。クラシックとアカペラ、一見相容れないふたつのジャンルを運営するに至った経緯を教えて下さい。

 

二宮:二宮音楽事務所を立ち上げる以前の話をしましょう。ぼくは2010年まで、名古屋市のコンサート小ホール「スタジオ・ルンデ」(※2)に勤めていました。

 1981年にオープンした、日本で初めて民間が立ち上げた室内楽専用小ホールです。社長は名古屋大在籍中にオーケストラを立ち上げ、指揮者を務めた経歴のある方。卒業後は音楽をもっと知りたいと国立音大へと入学し、その後ヤマハのエレクトーン開発に携わり、45歳でスタジオ・ルンデを立ち上げました。ぼくはそこにアルバイトとして入り、そのまま就職しました。社長は器楽が好きですが声楽はそうでもないとのことで、声楽関係はすべてぼくに任せてもらっていたんですね。二宮音楽事務所としての独立後は、培ってきたノウハウを生かしつつ、クラシックとアカペラの二本立てという売りで展開しています。

 

 アカペラとの出会い自体は、高校時代だと思います。アカペラグループの14 Karat Soul(※3)が日本で紹介されたり、スターダスト☆レビュー(※4)のアカペラアルバム『CHARMING』山下達郎(※5)『ON THE STREET CORNER 2』が発売された時期ですね。

 とはいえ、まだまだアカペラはマイナーです。20歳ごろは合唱団の有志とアカペラをしたり、4チャンネルあるカセットのマルチトラックレコーダーで多重録音をしたりしていたのですが、仲間からは「オタクなことやっているな」と言われました。ぼくとしては合唱自体がオタクだと思っていましたから「それじゃあ相当なオタクだ」と感じたのを覚えています。でも、続けていけばぜったいにメジャーになる文化だという思いはありました。

 

 27、8歳ぐらいまでアカペラを4割、DTMみたいなことを6割くらいの配分で続けていました。アカペラに本腰を入れ始めたのは、その頃に始めた「アカペラステューデンツ」というグループです。ぼくが先生役として若い子に教えるような趣旨です。

 「アカペラステューデンツ」の解散後は、残ったメンバーとともに「花村」というグループを結成し、トライトーン(※6)さんの曲をカバーしたりしていました。当時は2001年頃で、ハモネプが始まった時期です。ぼくらもプロの業者さんから「結婚式で歌ってほしい」といった声もかけていただきました。

 

※1…鶴舞公園・・・名古屋を代表する総合公園。2019年には設置110年を迎えた。FANは野外舞台である名古屋市有形文化財の「普通記念壇」で開催されている。

※2…スタジオ・ルンデ・・・1981年5月にオープンした、民間初の室内楽専用小ホール。160席のホールでは国内外の著名な音楽家が演奏し、2007年に惜しまれつつ閉館、取り壊しとなった。

※3…14 Karat Soul・・・1975年に米国ニュージャージー州で結成。グレニー・T.ライトを軸とする5人編成のア・カペラ・コーラス・グループ。ニューヨークを中心に活動し、82年に『LOVERS FANTASY』でデビュー。88年山下達郎がプロデュースした「ガール・イン・ホワイト」のヒットで日本での知名度を高める。その卓越した歌唱力と幅広い音楽性で多くのファンから支持を得る。96年ディズニー音楽のカヴァー・アルバム『シングス・ディズニー』を発表。引用:TOWER RECORDS ONLINE(https://tower.jp/artist/259733/14-Karat-Soul

※4…スターダスト☆レビュー・・・埼玉県出身の4人組ロックバンド。1981年アルバム「STARDUST REVUE」でデビュー、これまでにリリースしたアルバムは40枚。39年目を迎えた現在も80公演を越える全国ツアーを展開し、総数は2400回を越える。エンターテイメントに徹したステージは観客を魅了し、文字通りのライブ・バンドとして根強い人気を誇っている。引用:公式ホームページ(https://s-d-r.jp/

※5…山下達郎・・・'75年、シュガー・ベイブとしてシングル「DOWNTOWN」、アルバム『SONGS』でデビュー。 '76年、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロ・デビュー。 '80年発表の「RIDE ON TIME」が大ヒットとなり、ブレイク。 アルバム『MELODIES』('83年)に収められた「クリスマス・イブ」が、'89年にオリコンチャートで1位を記録。20年以上にわたってチャートイン。日本で唯一のクリスマス・スタンダード・ナンバーとなる。引用:公式ホームページ(https://www.tatsuro.co.jp/

※6…TRY-TONE・・・トライトーン。1992年、早稲田大学アカペラサークルStreet Corner Symphony(SCS)内で結成したアカペラグループ。1994年「Etoile/12の星の物語」(ビクター)でメジャーデビュー。2001年アメリカBest Recording Awardsにおいてアルバム「A Cappella MAGIC BOX」が最優秀ジャズアルバムを受賞。引用:公式HP(https://www.try-tone.net/