――出馬表明をしてから1ヶ月ほど経ちました。実感はいかがでしょう。また、これまで積んできた経験は、どのようにして活きていますか。
奥村:思っていた通りの茨の道です。そんな中、折れそうな心を支えるのが、「いままで自分はいろんなことをやってきた」という自負ですね。最も大きい部分を占めるは、大学時代にボイパやアカペラを広めた経験です。
当時、「アカペラを広めたい」と強烈に思い、行動に移した。それによってアカペラをひとつの文化にすることができたという自負があります。「JAM」(Japan Acappella Movement)というアカペライベントを作ろうとしたときは、すべての大学アカペラサークルのライブに行って、飲み会には朝まで参加して、代表を口説いていった。
あのときはインターネットがなかったけれど、あったとしても、JAMのようなイベントは作れなかっと思う。じっさいに現地に足を運んで、一人ひとりに会って、思いを伝えて話をしないと何も動かないのです。
「アカペラをいろんな人に聴いてほしい」という一心で、JAMをつくった。その結果、多くのアカペラーとつながることができ、ぼくのところに様々な情報が集まってくるようになりました。そんな頃にテレビ局から「アカペラをテーマにした企画をやりたい」というお話があったので、いろんなアカペラグループを紹介しました。それが「ハモネプ」(※2)につながっています。
ハモネプが流行していくのは、不思議な感覚でした。
最初は飯田橋のカラオケボックスだったかな。当時アカペラを教えていた高校生…「レプリカ」のみんなと一緒に、番組制作をしていた福浦さん(※3)の前で、マイクを使わず歌った。それがウケた。
その後テレビに1回出たらすごい反応があったみたいで、2回、3回と続いていった。続いていくのが不思議でした。でも純粋に嬉しかった。全国放送で、アカペラをアピールできる。
大学生なのに制服を着て出演するのは、おかしかったけれど、それが役割かなと思っていました。自分には、テレビに出てアカペラを紹介する責任がある。権利もある。ハモネプに出るまでに、全国のいろんなサークルやイベントに顔を出していたし、JAMもつくりあげてきたからです。「ここにいていいんだ」というプライドがあり、だからこそテレビ局やプロダクションとも堂々と渡り合えた。
ひるがえると、いま現在の立場と一緒だと思います。保育の現場でじっさいに活動してきたからこそ、保育の課題を主張していいポジションにある。そしてぼくが政治にチャレンジする意味もあると思っています。
あとは全国のひとにどれだけ会えるかが勝負だと思います。そしてじっさいに政治家になったら、「保育を動かせる」という自信があります。
――JAMからハモネプへ。まるでドラマの主人公のような活躍で、アカペラをひろめてきました。さて、話を当サイトのコンセプトである「ボイパ」に引き寄せていきたいと思います。ボイパの技術は奥村さんにとって、どのような役割を果たしてきたとお考えでしょうか。
奥村:じつは大学2年生のころ、とても悩んだ経験があります。
ぼくは気象予報士の資格をもって筑波大学に入学した。気象の勉強だけを、とにかくやりたいと思っていました。しかしそうは問屋は卸さなかった。数学がとにかく苦手なのに、数学をやらないと単位がもらえない。「中退して気象予報の会社に入ろうか」などと、悩んでいました。
そんなときに救ってくれたのがボイパでした。「おれにはボイパがある」――。その頃はまだ世間にボイパが知られていなかったので、「90年代の音楽シーンを牽引していた小室哲哉さんに売り込もうか」などと、かなり真剣に考えたこともありました。
ボイパの大きな可能性は、JAMやハモネプの前から感じていました。最年少で気象予報士資格を取得した経験から「先行者利益」の大きさも知っていた。タイミングは早ければ早いほど、かえってくる結果も大きいのです。
当時ボイパができる人があまりいなかったこともあり、サークルを超えて10バンドで活動していたことがありました。そんな無茶を可能にするのが、ボイパというパートの特性だと思います。そしていろんなバンドを掛け持ちしていたから、アカペラバンドどうしをつなげ、アカペラサークルどうしをつなげることができた。
「ボイパを論考する」のサイトに、「媒介者」というキーワードがありますよね(※4)。ボイパをやっているから媒介者気質になるのか、媒介者気質だからボイパにハマるのか、どちらかわかりませんが、「ボイパ」と「媒介者」は、引き寄せるなにかがあるんじゃないでしょうか。
ボイパは、楽譜が無くても、あるていどその場その場で、音楽に合わせることができます。アカペラは基本的にメンバーの替えがききませんが、ボイパは唯一「替えがきくかもしれないところ」です。トランプで言うところのジョーカーですよね。そしてジョーカーならではの、特定の役割が与えられたりしていると思います。
※2…お笑いトリオ・ネプチューン(名倉潤、原田泰造、堀内健)がメイン司会を務めたフジテレビ番組「力の限りゴーゴゴー!!」の1コーナー。2001年より開始後人気を得て同番組の高視聴率を牽引した。2019年6月、特別番組として復活予定。詳細は当サイト「ハモネプの物語」参照を
※3…福浦与一。当時ハモネプディレクター、現IVSテレビ制作㈱代表取締役社長。
※4…当サイト「媒介者としてのボイパプレイヤー」